釣りの日はいつも雨

コピーライターによる人間観察日記

東京に行って東京に染まる人

最近、地元の友達に「ピー子は高校のときから変わらないね」と言われた。

 

これは、自覚がある。

私は現在転職して東京に住んでいるが、その前も実家から少し離れた場所で一人暮らしをしていた。ど田舎だった地元と比べれば、そこは十分都会だった。職場にいる同年代の人々も、地元にいる同年代の知り合いに比べればオシャレだった。

 

たとえば、女性たちは驚くほど自分に投資していた。美容はもちろん、ジムやらヨガやら料理教室やら。そして、驚くほど恋愛活動に積極的だった。積極的かと思えば、面倒くさいと言ったり、デートに行った人が奢ってくれなかっただの服がダサかったなど、文句を言っていた。そんな話題で女子会が終わる。都会の女はドラマの中の生活をそのままなぞっているようだった。

 

私は「すごいな、都会の人間は本当に月9に近いライフスタイルなのか」と感心した。そして、一瞬自分もなぞってみようと服を変えたり、髪を巻いたり、婚活パーティーのようなものに行ってみたりした。

 

しかし、それは私にとって自動車学校の合宿並みに苦痛で、作業的で、とにかく合わなかった。私は一瞬で都会ごっこをやめた。田舎モンで何が悪い。田舎モンかどうかは知らんが、私は生まれたまま、この私以上のものにはなれんのだ。と、悟りを開いた。以来、それがいいか悪いか分からないが「私スタイル」で生きている。

 

親戚や親しい人からは、「あなたせっかく東京に行ったのに、全く垢抜けないわね」と言われる。そりゃそうだ。なにせ私は世界中、どこへ行ったって「私スタイル」で生きていくと決めてしまったのだから。全身ユニクロルックをやめる気もさらさらない。美容?毎日風呂に入って顔を洗って三食栄養バランスを考えて普通に食べてれば大丈夫です。休みの日はゲオで好きな映画を借りて観るのが至高。恋人、そうだね。人生にそういう人がいたらすてきかもね。

 

と、そんな調子で生きている。

 

今度、東京にいる友達が私の歓迎会をしてくれる。東京いらっしゃい会である。ありがとう。素敵な会を開いてくれて。でも、私はほんの少し憂鬱だ。きっと、東京に少し長くいる友達は、無意識にマウンティングをしてくるだろう。(すまん、性格の悪い思考で)でも、大丈夫。私は私なのだ。「東京ではユニクロで会社に行ってはダメなのよ」と指摘されても、怒ってはいけないぞ私。ご忠告ありがとう、と一礼し、心の中で「うるせえ。お前もわしと同じクソ田舎出身のチンチクリンだろうが。お前の幼少期のハナタレ写真見せたろうか?東京に染まってんじゃねえぞ。」と呟くのだ。

 

あけましておめでとうございます。

Instagramに登場する人

Instagramに登場する人・しない人問題。

 

友達のInstagramを見ていて、私もその場にいたはずなのに、なぜかほかの友達といる写真しかアップされていない。私と遊んだ時の写真はアップしてくれないのに、なぜか他の特定の友達はアップしまくっている。

 

いやお前めんどくせえな、と思うかもしれない。そう、私はめんどくさい。けれど、別に私だけではないのです。友達は、どうやら特定の友人しかInstagramに載せないのです。

 

そうです。オサレな友人しか載せないのです。(あくまで私の推測です)

 

Instagram、そこはオサレ魔境。オサレ自己ブランディングのステージ。そんな場所に、ダサい友達を載せて自分の評価を落とすなんて馬鹿げたことはできない。私の価値を上げてくれるオサレ民族との写真しか許されない。全身ユニクロ、靴はボロボロのスニーカー、さっきまで寝てましたみたいな顔の女は介入を許されないのだ。なんということだ。私は友達のInstagramオーディションに予選落ちしたのか。

 

と、世の中をナナメに見すぎて脳がパンパンになってしまった私は、つい最近Instagramをやめた。すると、どうだろう。驚くほど体調がよいのだ。よかったな私。もっと早くやめてればよかったのにな。

 

ということで、Instagramでなかなか友達に写真を上げてもらえないあなたに朗報。Instagramやめると悩みが全て解決します。私は27歳にしてやっと気付きました。

帰省する人

今、新幹線の中でこの文章を書いている。

 

社会人4年目、お盆と正月は必ず実家に帰っている。帰りたくて仕方がないわけでもないし、帰りたくないのに嫌々帰っているわけでもない。「社会的にそんな空気だからそうしよう」という感覚でそうしている。

 

あと、私は普段から密に家族とコミュニケーションをとるわけではないので、このくらいしか親孝行のタイミングがない。帰ったからといって、家のことを手伝ったり、家族においしいものを食べさせたり、そういういわゆる「親孝行っぽいこと」をするわけではないのだが。「帰って顔を見せることが親孝行なのだ」と、言い訳している。

 

帰省する人、しない人。人それぞれだと思う。

 

いま、新幹線の中の人をぐるりと見てみても、この人の数だけ帰省の理由があるのだろうなと想像する。地元から遠く離れた大学に通う学生、社会人。新婚夫婦。単身赴任の男性。もしかしたら、帰省ではなくこれから旅行に出かける人もいるだろう。

 

そして、みんながみんな幸せな帰省ではないんだと思う。何か、たとえば夢破れて泣く泣く地元に帰る人もいるだろう。(そんな人はそもそも実家に合わす顔がないから帰らないか)

 

年末年始のこのムード、なんとなくそわそわ、わくわくする空気が漂う。だけども、仕事をして年を明かす人、一人でぎゅっと孤独を噛み締めながら明かす人だっているだろう。

 

そんな人たちのことを考えて、みんなに幸あれと思う。そんな年末です。

 

オタクを嫌悪する人

私はリア充が苦手である。

簡単に言うとオタクである。

 

私がリア充を苦手なように、オタクが苦手なリア充もいるだろう。それは、何となくわかる。私も大人である。皆、苦手なものくらいあるだろうさ。

 

しかし、たまに生きているとショッキングなリア充に出くわす。それは、「オタクを異常に嫌悪するリア充」だ。

 

前職に、ひとりこの手の男子がいた。

彼のスペックは、サカナクション的なオサレ音楽を愛するややサブカル男子。髪型は米津玄師。MacBookを開いてオサレカフェでほっとひと息ついて悦に浸り、トレンドのフィルターをめいっぱいかけてinstagramに写真を投稿する。そんな男子であった。

 

ある日、私が同僚と会社の休憩室にあるテレビで、アイドルのライブ映像(なにかのニュース番組だったと思う)を見ていた時、通りすがりの彼はその映像を見て吐き捨てた。

 

「うわー、オタク、キモ。」

 

まじか。君、まじか。

私と同僚は思わずエッという顔で振り返った。すると、彼は真顔で「あ、先輩たちのことじゃなくて、そのテレビにうつってるオタク?のおっさんがキモいなって」と言った。

 

いや、いやいやいやいやいやいやいやいや。

 

ここで複雑なのが、たしかに私と同僚はそのアイドルライブを見るためにわざわざテレビ前を陣取っていたのではない。ただ、テレビを見ていたらたまたまアイドルのライブが流れていたのだ。だがしかし、私と同僚は生粋のアイドルオタクであった。オタクだったのだ。ドンピシャの。そう、彼が言い放った「いや先輩じゃなくてオタクがキモいってことです」は、我々のことなのである。君、全然フォローになってないんだわ。

 

というか、え、キモ…え?

 

ペンライトを振り回し、涙と汗でぐちゃぐちゃになりながら推しの名前を叫ぶファンを、キモいと。まあそうかもな。キモいよな。キモいよな、わかる。私もライブ会場にいる私のことキモいと思う。思うわ。しかしな、口に出してはいけない。いけないよ君。オタク、キモ。はな、君のようなリア充が一番言ってはならんのだ。カイジも言ってただろ。「口に出したら戦争だろうが」って。君、戦争ですよ。もう君は我々オタクに銃口を向けたというか、撃ったんだよ。戦争だこの野郎。

 

と、そういう事件があった。

その後、彼と親しい方々にリサーチすると、彼はかなりのオタク嫌いだったことが判明。見るだけで吐き気を催すレベルらしい。まあ、そうか。私もな、あれだ。芋虫とかな、苦手だ。なんかな、トラウマとかがあったんだな。きっと。オタクに親でも殺されたんだろうな。うん。

 

私はリア充を見てぐちぐちとSNSに嫌味を吐くことはあっても、面と向かって「キモ」とは言わない。というか、「キモ」という突発的嫌悪はない。でも、もしかしたら皆さんが優しいだけで、オタクは結構キモいのかもしれない。わからない。怖い。

 

リア充のみなさん、やっぱりオタクって脊髄反射で「キモ」な生き物なんでしょうか。

 

人に姿を見せられぬ、獣のようなこの身体。

早く、人間になりたい。

 

あの日から、そう強く願うようになった。

 

過干渉な親を持つ人

毒親、とまではいかないものの、私の周りには「過干渉な親」に悩む人が多い。

 

ちなみに、私の親はその逆。放任主義である。よく言えば子どもたちに全てを任せている。もちろん、助けを求めると助けてくれるが、過剰に手を差し伸べることはない。今思うと、その教育方針にとても感謝している。一方で、デメリットもあるのだが、その話は長くなるのでまた追い追い書くことにする。

 

というように、私の親が放任主義であったこともあって、私にとって「過干渉親」の話はとてもショッキングだった。

 

まず驚いたのは、19歳の時。確か友達と東京旅行に行った時だと思う。その友達は、駅、カフェ、ホテル、など、場所を移動するたびに誰かと電話をしていた。聞くと、母親だと言う。

 

「旅行するときは、どこにいるか電話することになってるの」

 

私はそのカルチャーにギョッとした。

な、なんという愛情。親子愛。

まず私はその絆?にひどく嫉妬した。

 

いや、でも待てよ。

場所移動するたびに電話で報告するか?ここが紛争地帯ならまだしも、国内でっせ。わしらもう19ですよ。お宅ちょっと心配しすぎちゃいますか?

 

このときの不思議な感情は未だに覚えているというか、今でもこの感情になる。

 

心配してくれる人がいるうらやましさと、親子で依存し合っていることへの気色の悪さ。この二つが同時に押し寄せてくる。

 

他にも、一人暮らしをしている友達で、毎日必ず母親と電話する人。その日何を食べたかラインで報告する人。毎週一人暮らしの家まで親が来て掃除をする人(南キャンの山ちゃんがそうらしいですね)。恋人ができると必ずチェックされる人。など。

 

「なんだ、そんなこと」とお思いの方もいるだろうが、上記は私がカルチャーショックを受けた一例である。

 

この問題、たまに仲のいい友達と話すことがあるが、結論、家族のあり方に正解も不正解もないので、極力他人に家族の話をしないのがよい。ということに最近なった。(と言いながら、ここに書いてしまったが)

 

何が言いたいかと言うと、「過干渉親」に悩むみなさま。あなたのその愚痴、私にとってはほんの少しだけ自慢に聞こえるのです。そして、同じようにわたしが「放任親」の話をしたら、きっとあなたたちは自慢に聞こえてしまうのでしょう。こんな負の連鎖はもうやめましょう。

 

家族の悩み相談は、Yahoo!知恵袋で。

 

それがきっと一番ですね。

はい。

クリスマスに焦る人

クリスマスシーズン、自慢ではないが特別な人と過ごしたことは人生で一度もない。

 

かろうじて記憶に残っているのは、家族でクリスマスケーキを食べるだとか、そのくらいである。これが小学生くらいの記憶なので、いかに私がクリスマスと縁遠い人生を送っているかは察していただきたい。

 

高校生くらいになると、周りが色気付きはじめ、クリスマス=恋人と過ごす日という空気が強くなっていく。しかし、大半の友達はまだ家族や友達と過ごす幸せを味わっていた。

これが大学生になるといよいよ厄介なことになる。恋人がいないクリスマス=惨めという恐ろしい思想が蔓延する。なぜ大学生という生き物は自分で自分の首を絞めるのだろうか。かわいそうな自分というものに酔っているようにも見えた。

恋人がいない者同士で集まり、「ぼっち」たちによるパーティーが各地で開催されていた。私が思うに、日本の大半の人がこっち派なのではないかと思う。

 

クリスマスというのは、恋人がいない寂しさを同士たちと分かち合い、こんな俺たちでも強く生きようぜ。と肩を組み、酒を飲み、宅配ピザを頼んだりして朝までどんちゃん騒ぎする日。

 

で、実際に恋人と過ごす人なんてのはほんのひと握りなのではないだろうか。社会人になってから、そんな風に考えている。

 

私は仕事上、クリスマスは毎年ほぼ仕事で潰れる。各企業がここぞと言わんばかりにキャンペーンを打ちまくる季節であり、クリスマスが終わればすぐに正月。正直、自分のクリスマスの予定よりも、世の中の人のクリスマスや正月のことを考えている。

 

私としては、とても都合がよい。

 

恋人がいないことの寂しさや、家族と過ごせない寂しさを、クリスマスというやつは強要してくる。それならば、まだ他人の幸せのために仕事をするほうが心が落ち着く。とにかく、この季節は自分のことを考えるにはきつい時期なのだ。

 

「ピー子さん、今年のクリスマスは?」

 

そう聞かれたら、私はさっと残念そうな表情をつくり、

 

「仕事なんです〜」

 

と答える。たとえ仕事なんてなくても。

 

今日はクリスマスイブですね。

全国の良い子たち、今日は早く寝るんだよ。全国のカップルたち、今日は寒いからあんまり外を出歩かないで、あったかい屋内で過ごすんだよ。

 

私はラジオをつけて、金曜ダメ出しをくらった企画を考え続けます。

結婚はしたくないけど結婚式はしたい人

私は今27歳なのだが、結婚願望は特にない。

 

が、この年齢になると周りはぼちぼち結婚しはじめる。多分今がちょうど結婚ラッシュだと思う。私のひねくれた性格からすると、結婚した人を妬みそうなものだが、普通に心の底から祝福している。これはおそらく私の中に1ミリも結婚願望がないからだと思う。

 

めでたく結婚した友達には、これからも末永くお幸せに過ごしてほしいのだが、問題は独身の友達である。私の周りだけかもしれないが、明らかに結婚願望のせいでモンスター化している。

 

まず、突然「モテたい」と言い出す。

あとは、「誰でもいいからとりあえず側にいてほしい」などと言い出す。

終いには、「結婚はしたくないけど結婚式はしたい」などと言う。

 

支離滅裂である。

 

結婚というものがお花畑ではないことは分かりつつも、たくさんの人から祝福され、お姫様のように扱われたいという願望。その複雑な感情を表現するのが「結婚はしたくないけど結婚式はしたい」らしい。

 

あと5年、10年したら彼女たちは何と言うのだろうか。ころっと結婚して子供を産み、「そんなこと言ってた時期もあったな〜」とでも言うのだろうか。なんかそんな気がする。

 

かの有名なゼクシィの広告。

 

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」

 

このコピーは、誰も傷つけてない最高の表現だと絶賛された。

私はたまに思う。「結婚しなくても幸せになれる」と本当に思っている女性はごく一部なんじゃないか、と。

 

女性の中から「結婚(もしくは結婚式?)が人生最大の幸せ」という価値観が消える日なんて来るのだろうか。まあ、私の周りがたまたま結婚願望および結婚式願望が強いだけで、世の中ではとっくにそんなことないのかもしれないが。

 

個人的には、#プレ花嫁 とか言って結婚式の準備に心血を注ぐタイプの女性は少し苦手である。

 

そんな年の瀬です。