釣りの日はいつも雨

コピーライターによる人間観察日記

前世を信じる人

スピリチュアル的なものを信じているか、と言われると、私は自分のためになるものは信じている。

 

私は、小6〜中1まで不登校だった。大々的にいじめを受けたわけではないが、何となくクラスの人から無視され、何となく集団に居づらくなり、何となく行かなくなってしまった。私は心の病院から鍼灸院から気功から、とにかく色々な場所へ連れて行かれた。(宗教的なものはなかったと思う。)そのくらい、私の母親は私をなんとか治そうと必死だった。今思い返しても、申し訳なさで涙が出てくる。私がいわゆるスピリチュアル的なものと出会ったのは、その頃だった。

 

[完全版]生きがいの創造 (PHP文庫)

[完全版]生きがいの創造 (PHP文庫)

 

 

このシリーズは何冊か出ているのだが、母親は全て購入していた。私は母がなぜその本を買ったか、自分のせいだということが分かっていたので、母がいないときにこっそり読んでいた。今手元にないので私のおぼろげな記憶になるが、「死後の世界」や「前世」について書かれていたと思う。宗教チックというよりは、割に科学的に、客観的な視点で書かれていた。患者、と言っていいか分からないが、様々な人に催眠療法のようなもので前世の記憶をたずねていく章は、小学生の私にとっては新鮮で、かなり前のめりで読んだ。

 

よく、小さな子どもに「生まれる前、どこにいたの?」と聞くと、「お空の上で、ママとパパを見てた」と答える、というのがある。そのことについても、書かれていた。作者曰く、子どもは親を自分で選んで生まれてくるらしい。人は生まれ変わるとき、前世を踏まえて、次の人生で自分に何が必要かという目標のようなものを設定する。自分が生まれてきた意味は、自分が決めているということだ。

 

スピリチュアルだの宗教だの前世など、うさんくさい話かもしれないが、この本はどこかで自分の心のお守りになっている気がする。学校へ行かなかったあの頃、私は自分が生まれてきた意味や、これから生きていく意味、死んだ後のことなどを死ぬほど考えた。答えはないし、誰にもわからないが、1つ、自分が生きやすくなる答えを持っておくのはいいかもしれない。

 

母に「あの本貸して」と言う勇気はまだないので、気が向いたら本屋でまた買ってみようと思う。

「学生の時が一番楽しかった」って言う人


ずっと自分の中にこのような感情があった。なぜ「ダサく」感じてしまうのか。少し考えてみた。

本当のことを言うと、私はこのような発言をする人がうらやましいと思っていた。なぜなら、私は輝かしい学生生活を送ってこなかった。何をもって輝かしいとするかは分からないが、少なくとも「学園祭や体育祭で最高の思い出ができた」「彼氏と一緒に下校した」などの記憶はない。とても楽しかった感覚もないし、とてもつらかった感覚もない。ゆえに、学生時代を「一番楽しかった」と胸を張って言える人に嫉妬していた。

が、社会に出てしばらくすると、なんだかそんなことを言う人が「ダサく」見える現象が起きる。飲み会で、仕事の愚痴を吐く同僚たち。上司が使えない。仕事量が多い。後輩が仕事を覚えない。決まり文句はいつも「あー、学生に戻りたい。高校生に戻りたい。あの時が一番楽しかったわー」だ。


突然話は変わるが、オタクには「懐古厨」という厄介な連中がいる。

懐古厨(かいこちゅう)とは、「昔のほうが良かった」といった言葉を連発し、むやみやたらに現在あるものを否定したがる人たちのことである。2000年代初期に2ちゃんねるで生まれた2ちゃん語の一つ。
ニコニコ大百科より


「今の作品はクソ。初期のほうが断然よかった。」とかそんなサムい発言しかしない評論家気取りのやつらである。漫画でもアニメでもアイドルでも音楽でも、どんなジャンルにも生息している。もしかして、やつらの「痛さ」の正体は、評論家気取りな部分に加えて、「過去にしがみついて、今と向き合えない幼稚さ」なのかもしれない。

人生で、今が一番最高。

私はそう思っている。極端なことを言うと、今を楽しく生きられなかったら生きてる意味がないと思っている。過去が一番よかった、と言ってしまった時点で、今の自分を否定することになるからだ。人生楽しいかどうかなんて、自分の考え方次第なんだから。私は常に、自分が楽しく生きられるように生きている。

学生の時が一番楽しいなんて、ほんと素晴らしいことだと思う。うらやましい。けれど、それ以上に今も楽しいと、どうか笑ってくれ同僚。じゃないと、学生の時のお前がかわいそうだ。

メルカリにハマる人

「メルカリ依存症」というのがあるらしい。

 

メルカリ依存症。

https://www.mercari.com/jp/box/qf8e4c9f0943c7905/

メルカリの続きが見たい時、夕飯作るの遅れます。お腹を空かせた子供います。なんて。

どんなものかとのぞいて見たら、なかなかの闇だった。ちなみに私はメルカリでものを売ったことはない。が、過去に一度だけ、どうしてもイケアのバカでかいブルーの袋がほしくて買ったことがある。それ以来、使っていない。周りの人が普通に売ったり買ったりしているのを見て、どれ私も売ってみようかねと思ったこともあるが、梱包やらの準備が面倒でやめてしまった。メルカリをやる人はマメだなあくらいに思っていたのだが。まさかこのような闇がはびこっているとは。

 

ところで、知らなかったのだが「メルカリBOX」というこの掲示板。メルカリユーザーが質問したり、雑談したりするものだと思うのだが、じっくり読んでいくと結構狂っている。なんというか、偏差値の低い発言小町というか、ガルちゃんというか。

 

メルカリにも依存していませんが メルカリボックスの依存症になり始めました。

いや、もうどういうことだよ。私も惹き込まれつつあるよこのメルカリボックスに。まさに第2のガルちゃんである。

 

メルカリユーザーというか、メルカリ依存症に陥ってしまう方の素性が私にはさっぱりわからないのだが、やはり主婦が多いのだろうか。子育て中の方であれば、日々の心労は計り知れない。メルカリでモノを買ったり売ったりすることで、ストレスを発散しているのかもしれない。たしかに、メルカリというのは手持ちのものを売るだけなので、絵を描いたり何かをつくったりする労力はかからない。承認欲求を満たす方法としては、かなり手軽なサービスだ。さすが、メルカリ。女心をわかっている。

 

こんな質問もあった。

 

祖父の形見を売りたい
5人いた祖父の1人が死にました。
その祖父は猫の剥製集めに凝っていて、私にはレーザーディスクプレーヤーを形見として残してくれました。
祖父の形見とはいえ、私には必要のないものですし、メルカリで売ろうかと考えています。
レーザーディスクプレーヤーはメルカリの利用規約に反しないものなので売っても問題はないでしょうが、祖父の形見をフリマアプリで売る、というのは普通どのように感じるものでしょうか。
教えていただけると幸いです。

 

これに対する回答のひとつが以下。

 

いいんじゃないですか。
いくら大切な祖父様とはいえ使わないより使って貰える人に売った方が祖父様にとっても貴方様にとってもいい事だと思います。

 

見事なマジレスである。というか、形見とそもそも記載しなければ買い手にはわからない。質問者の「形見を売ることへの罪悪感」が人間らしく、それを正直にメルカリボックスに記入しているのが、なんだかたまらなかった。

 

メルカリ、奥が深い。そこには私の想像を超えた人間ドラマがあった。いろんな意味でハマりそうだ。

余計なことを言ってしまう人

後悔していることがある。

 

あれは、私が小3のとき。学校終わり、同級生のKちゃんの家に遊びに行くと、Kちゃんのお父さんがいた。Kちゃんのお父さんはおもしろくて、とってもやさしくていい人だった。ひとしきり遊び、私がそろそろ家に帰ろうとすると、Kちゃんのお父さんが「暗いしおうちまで送ってあげるよ」と言った。Kちゃんの家から私の家まで、子どもの足だと30分はかかる。Kちゃんのお父さんはなんてやさしいんだ!と思いながら、私はKちゃんのお父さんの車に乗せてもらった。

 

そのとき、私はとんでもない台詞を吐いた。

 

「Kちゃんのお父さんってほんとにいい人だよね!ちょっとハゲてるけど!」

 

Kちゃんはそうだねとクスクス笑い、Kちゃんのお父さんもちょっと笑っているようだった。正確には運転席に乗っていたので、顔はきちんと見えていないのだが。もしかしたら死ぬほどキレていたかもしれない。今思い出しても、なぜあんなことを言ったのか。きっと、私は自分が感じた全ての情報をただ口に出しただけだったのだろう。「Kちゃんのお父さんはいい人。そして、ちょっとハゲている人。」と。

 

とにかく、思っていることは全て口に出す子どもだったのだ。

 

普通は、成長とともに空気を読み、言っていいことと悪いことを心得るようになっていくものなのだが、友人に言わせると私は「今でも全く治ってない」らしい。

 

たとえば、飲食店で料理を食べていると、店員の目の前で「うわっまずっ」と言う。街でかなり近距離にいる人を見て「誰かに似てる!」と言う。など。友人に何度も叱られてきたが、未だに治らない私の最悪のクセである。

 

嫌味を言おうとしているわけではなく、本当に素直に思ったことが口から出てしまうだけなのだが。どうやら私は「気遣い」という機能がすっぽり抜け落ちているらしい。コピーライターとして致命的なのでは、と時々思う。

 

小3の私、残念ながら27歳の私は君となんら変わりない脳みそです。ちゃんとした大人になれなくてごめんなさい。とりあえず、ハゲてる人を見てもハゲてると言わないように気をつけます。

性別を意識する人



西武・そごうの広告が話題になっている。
私個人として、この広告に良い悪いの意見は特にないのだが、あらためて「女とは一体何なのか」と考えるきっかけになった。

こんな言い方は変だが、私は「女」という意識がとても薄い。平たくいうと「女子力が低い」ということなのかもしれないが、それ以上に「女として堂々と生きる」ことに興味がない。というほうがしっくりくる。つまり、自分が「女」であることに誇りもないし、特別なデメリットを感じたこともない。

今日日、「女性だからこうあるべき」というのはタブーだ。そんなこと言おうもんなら社会からボコボコにされる。

「女の子なんだからスカート履いたほうがいいよ」
「もっと化粧したほうがいいよ」
「若いうちに男の子といっぱいデートしときなよ」
「結婚はおばさんになってからだと難しいよ」
「ていうか27歳でその生活は女として終わってるね」
「女としての経験が浅いんだね」

など。以上は私が言われたことのあるセリフである。男性からも、女性からも。
男性が「女性ならこうしたほうがいいよ」と言うと、社会は分かりやすく叩いてくれる。だけど、私は知っている。実際、上記のようなことを言う女性も一定数いるのだ。そして、女性が女性にかのようなことを言うと、不思議と男性よりは許されてしまうのだ。「経験豊富な女性が経験の乏しい女性にアドバイスしてあげてる」と。

男性が女性に言うとハラスメントなのに、女性が女性に言うとただのマウンティングになるのはどうしてなのだろう。同性だと許されるのだろうか。

愛知から東京に引っ越してきて、男性からのハラスメントに遭遇することは減った。
けれでも、女性から「女性はかくあるべき」ということを言われる機会が増えた。

これ、一体なんなんでしょうか。

よく腹を下す人

私は小さい頃から緊張すると腹を下す子どもだった。

 

遠足、運動会、ピアノの発表会、修学旅行、受験、などなど。とにかく「いつもと違う日」になると必ず腹がピーピーになる。極度の緊張しいなのである。

 

同志の方なら分かると思うのだが、長距離移動はピーピー族にとって地獄である。腹の調子が悪くなくとも、「もしかしたら腹を下すかもしれない」という不安で下すのである。負の連鎖だ。そして、腹を下すというのはとても恥ずかしい現象なので、できるだけ人にバレたくない。家族や親しい友人ならまだしも、仕事でそれがバレた日にはもう立ち直れない。私とて腐っても女である。さすがに腹下し野郎として認識されるのは恥ずかしい。

 

私は現在広告代理店でコピーライターをしている。基本的にはデスクワークだ。そして、基本的にオフィスはガヤガヤ人が出たり入ったりしているため、誰がトイレに何回行ったかなど誰も気にしていない。腹下し野郎には最高の職場である。ただし、たまの撮影や重めのプレゼンで事が起こることも勿論ある。あ、これやばいなと。これをはずすとヤバイというプレゼンで、腹に鈍痛が訪れることもある。あった。実際、過去に。その時、私は大事故になるその前に言った。

 

「すみません、お手洗い貸していただけますか」と。

 

社長プレゼンで20そこそこの女が死にそうな声で言った。すると、驚くほど周りの人間はあたたく、私は一命をとりとめた。あの時のことは、今でも絵に描けるくらい鮮明に覚えている。

 

先ほどまで、私は実家でいつものように腹を下していた。今回のはでかかった。結構死ぬかと思った。私がのたうちまわっていると、父がスッと私に小瓶を渡した。

 

【第2類医薬品】正露丸 400粒

【第2類医薬品】正露丸 400粒

 

 

私は腹下しと27年間付き合ってきて、一度も正露丸を飲んだことがなかった。はじめての正露丸、その臭いは強烈だった。これは効きそうだ。

 

父よ、仕事が始まる前に私に正露丸を教えてくれてありがとう。今度、ピンチの時に使います。

他人に期待しない人

私が最も尊敬する人、それは「他人に期待しない人」だ。

 

この大江さんを見て、私は「そうそうこういう人」と深く頷いた。現代を生き抜く上で、最も必要な才能は「期待しない」だと考えている。大江さんがなぜ多くの人から愛されるのか、その理由がこの一言に集約されているような気がした。

 

仕事でもプライベートでも、他人に期待「しすぎる」ことは危険だ。「言わなくてもこの作業はやってくれるだろう」「誕生日にはプレゼントをくれるだろう」など。期待が大きければ大きいほど、裏切られた時の憎しみが大きくなる。期待するというのは、それだけ相手を信頼しているということでもあるので、悪いことではないのかもしれない。が、相手は相手。自分とは別の生命体で、自分とは全く違う理屈で動いている。このことを忘れてはいけないと、常に自分に言い聞かせている。

 

この番組、有働さんがポカン顔で大江さんを見ていたのが印象的だった。わかる。私も有働さんタイプです。真面目で、努力家で、負けず嫌いで、とことんこだわる。仕事一筋。男にだって負けません、ううん、だけどホントは誰よりも女の子。寂しがりや。一人の夜は、大丈夫?と声をかけてほしい。実は、「他人なんて興味ありません」とサバサバしていながら、誰よりも他人に依存している。そんな感じ。(※想像です)

 

大江さんの「執着の無さ」は才能でしかないと思う。嫉妬、劣等感、そういうものから解き放たれたとき、人は本当の意味で幸せになれると思う。この考え方すら「執着」かもしれない。死にたい。

 

そういえば、乃木坂46齋藤飛鳥さんや、欅坂46平手友梨奈さんも「他人に期待しない」と同じようなことを話していた。幼い頃から人に求められ、囲まれ、人の汚いところ(?)をたくさん見てきた女性の行き着く道なのだろうか。

 

私もいつかその悟りを開きたい。